2016年05月

現在、国際法曹協会(UIA)の東京弁護士会と共催の国際セミナーのため、8人の外国人スピーカーが来日しています。

イギリス人二人、フランス人二人、ドイツ人二人、イタリア人一人、ベルギー人一人という構成で、昨晩は日本庭園が綺麗な豆腐料理のお店で前夜の晩餐会でした。

いつも思うのですが、外国人であっても法律家同士は普段の会話でも本当に話がやりやすいです。日本法かそれぞれの国の外国法かとの違いはあっても、法学が固有に有する思考のための基本構造を共有しているためか、コミュニケーションがスムーズに進みます。

法学って言語の一種なんだと思わざるを得なくなる瞬間ですね。

今日、第六回は、法解釈学とは何かをみなさんで考えてみましょう。先日、みなさんにお願いした宿題も使ってみたいと思います!

今週は海外出張につき、休講となってしまい、失礼しました。

普段は月火に講義を集中させて、水曜以降に海外出張に出ることが多いのですが(そして日曜までに帰る)、今回、ニューヨークの国連本部で開催された会議がちょうど月曜からだったため、思い切って休講してしまいました。

また、奇しくもイタリアのミラノでの会議が先週の木〜土で開催されたため、結果、先週の水曜からミラノ、ニューヨークと連続出張となりました。

ところで、第四回では、第2章後半の設例と民法709条を照らし合わせてもらいながら、法が要件により構造化されていること、それにより判断権者が誰であっても同じ要素を基に判断を行わざるを得なくなり、結果、判断にブレがなくなることが目指されていることを体感してもらいました。

逆に依拠すべき法がないままに自由に設例について考えてもらった際に、各人のバックグラウンドや個性によって、あまりにも様々な評価が出てきたことにびっくりされたかもしれません。

法の持つ一つの役割、そして、それを勉強することを通じて獲得できる、複雑な事象を論理立てて整理できる力について、何となくイメージできたのではないでしょうか?

次回は第3章の「法とは何か」です。是非、一読してから出席してください。

ところで、ニューヨークのあるレストランで食事をしていたところ、間接照明のランプテーブルを挟んだ隣のテーブルで世界的な大スターが食事をしていることに気づきました。
ミーハーにも感激してしまいましたが、さて、その人は誰でしょう?



4月25日に第三回の講義が終わり、教科書の第2章の前半まで終了しました。

前回まで、単に法的知識を身につけることだけが法学部での勉強の目的だとしたら、そこには限界が....という形で、みなさんに法学を学ぶ意味についての問題意識を持ってもらいました。しかし、少し強調しすぎたかもしれません。

法改正が繰り返されていることや、判例が次々に下されていることを知った上で、かつて学んだ知識に限界があることをわきまえた限りで用いるのであれば、法学部で学んだ知識は社会に出て行った後でも、大きな武器になります。

その意味で、教科書に用意された設例について、六法を引きながら法がどのような解を与えているかを読み解く今回の作業は、そのことを実感できるものではなかったでしょうか?

連休で一週休みが入りましたが、明日は第2章の後半です。今度は、教科書の設例が民法709条ではどのように構造化されることになるのか、要件とは何で、その機能はどこにあり、複雑に存在する事実との関係でどのような作業を強いられることになるのか、みなさんに考えていただきます。

では、よろしく!

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